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2015.09.08 07:00  週刊ポスト

日光 開山の祖・勝道上人が見出した神域としての原風景を辿る

標高2486mの二荒山の山頂。鳥居の向こうには明治時代に奉納された大剣が刺さる


 日光で修行を始めて16年後、勝道は何度かの挑戦の末、二荒山登頂に成功した。二荒山は一説ではサンスクリット語のポータラカ(補陀洛)の音に由来し、観音菩薩の地を意味する。標高2486メートル、周りの山々を巡る雲海と同じ高さ。勝道上人は天に近づきたくて登ったのかも知れない。道中では美しい中禅寺湖と華厳の滝を発見。しかし、山頂で待っていたのは荒々しい岩山の光景だった。勝道はどんな思いで山頂に何日間も滞在したのだろうか。

 二荒山登頂のあと、勝道は大谷川の支流、稲荷川沿いの谷合に次の修行と瞑想の場を求めた。今の瀧尾(たきのお)神社の周辺だ。東照宮の裏手からここまでわずか15分の道のり。だが、まるで空気が違う。辺りは聖なるオーラに満ちあふれている。山懐の緑の谷は草木や動物の生命に満ち、二荒山の荒々しさとはまた違い優しい気持ちに満たされる。

 死をも感じさせる世界と命あふれる世界。そんな知られざる日光があったのだ。

 勝道は、この荒々しくも豊かな地を世に広めるため、空海(弘法大師)に碑文の記述を依頼している。

 家康が死後、ここに祀られることを望んだのは、ここが江戸から見て、北辰(北極星)の方角だったからともいわれているが、この地の持つ特別な空気を、勝道と同じように感じ取っていたのではないだろうか。

 83歳で生涯を閉じたとされる勝道上人。その墓は東照宮と瀧尾神社の中間辺り、開山堂にある。

■文・撮影/小澤忠恭

※週刊ポスト2015年9月18日号

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