6月に入ると、悪夢が目に見える形でやってきた。川島に腹水が溜まり始めたのだ。
「がんの末期症状です。この時ばかりは川島さんも“もうアタシ、ダメなのかな…”と弱音をこぼしたそうです」(前出・鎧塚氏の知人)
9月7日、シャンパンのイベントに夫と共に出席した川島だが、その激やせ姿にメディアは騒然となった。手記によれば、当時の川島は1日に5Lもの腹水が溜まるようになっていた。抜いても翌日にはまた溜まるのだという。38kgの体重のうち5kgが腹水という、凄絶な日々である。
臨月の妊婦のようなお腹を抱えて、川島は9月8日からの新舞台に上がった。
「川島さんの出演の意志は微塵もぶれませんでした。腹水を抜き、解熱剤と点滴を打って、文字通り命がけで舞台に出ていたのです」(前出・鎧塚氏の知人)
――なぜ無理矢理にでも妻を止めなかったのか。
鎧塚氏は周囲から、何度もこの問いをぶつけられた。
《当然のお叱りがございましょう。しかし、止められなかった。川島なお美の女優としての生き様は、もう誰にも止めることはできなかった》
17日の長野公演開演直前、川島の体は動かなくなった。降板が決定されると、川島は悔しさの余り泣き続けた。
《肝臓でキレイにできない血液にアンモニアが残留し、それが脳を麻痺させました。舞台の袖で女房は次の出番のセリフが分からなくなり、右往左往していたらしいのです》
川島が永眠した9月24日19時55分。臨終の間際に、鎧塚氏は不思議な光景を見た。一瞬頭を起こした川島は、手を握り、強いまなざしで夫を見つめた後、大きな息をついて意識を失った。
昏睡した時点で心肺も停止していたが、鎧塚氏が川島の名前を叫び続けると、それに呼応するかのように2度大きく息をしたのだという。
《医学的にどうかは知りません。ただ、私からの止まぬアンコールの声に、魂で応えたカーテンコールだったに違いありません》
※女性セブン2015年12月24日号