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2015.12.17 07:00  週刊ポスト

羽柴秀吉氏 出馬時に「豊臣」でなく「羽柴」を名乗った理由

 来年の夏には参議院選挙が控えているが、もし生きていればきっと話題になったに違いないのが「羽柴秀吉」氏(本名・三上誠三。享年65)だ。本職は、温泉旅館や建設会社を経営する「羽柴企業グループ」の社主だった。甲冑姿のド派手な選挙ポスターや、大阪城を模した自宅が話題になり、「日本一有名な泡沫候補」と称された彼は、なぜ「羽柴秀吉」を名乗るようになったのか。

 1976年に本名の「三上誠三」で青森県金木町選に立候補し、27歳で初めて選挙に挑戦した彼は、1999年に東京都知事選に立候補。この時から「羽柴秀吉」を名乗るようになる。その理由について次男の三上大和氏は、「地元の菩提寺の住職に『豊臣秀吉の生まれ変わりだ』といわれたのがきっかけだった……ということになっています」と説明する。

 歯切れが悪いのは、当時の住職(故人)曰く「そんなことはいっていない」からだ。ただ、住職は「『武将のような面構えだ』といったような気がする」とも語ったという。その言葉が羽柴氏には響いたのかもしれない。

 ともかく、誠三氏は「羽柴秀吉」として政治活動に邁進することになる。2000年の大阪府知事選、衆院選、2001年の参院選に相次いで出馬。2002年の長野県知事選では「脱ダム宣言」の田中康夫知事に対抗し、候補者の中で唯一、ダム建設推進を積極的に訴えたが敗れた。

 その後も衆院選や大阪市長選など次々と落選。だが、2007年の参院選では社民党公認候補を上回る10万票を獲得。同年の夕張市長選では342票差で次点というところまで迫った。

「選挙の際のキャッチフレーズは『輝く日本新時代』。夕張市長選では『輝く夕張新時代』を掲げました。『会社経営も政治も一緒』が口癖で、経営者として成功した自負があったからこそ、自分なら新時代を切り開けると信じていたようです。

 2007年に夕張市の財政立て直しを図った際にも『命がけで夕張を再建する。それが天下取りの第一歩だ』と語っていました。甲冑を被ったり、金箔を食べたりするパフォーマンスも、『知名度がないと発言力を得られない、発言力がないと政治ができない』との熱い思いゆえなんです。

 彼の真意が市民に伝わったのか、落選直後には夕張市に後援会ができた。イロモノではないと感じた地元の人が『4年後は勝てるかもしれない』と思って自ら立ち上げてくれたんです」(選挙の際にブレーンとして仕えた元秘書)

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