『葬式は、要らない』(幻冬舎新書)がベストセラーとなった宗教学者・島田裕巳氏は、「お墓」についてももっと様々な選択があっていいと指摘する──。
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私はこれまで「葬式は、要らない」と言い続けてきましたが、最近では、葬儀はもちろん墓さえ必要としない「0葬」を提唱しています。これは火葬後に遺骨も引き取らないというスタイルです。
「故人がかわいそう」「葬り方としていかがなものか」と感じる方もいるでしょう。しかし、人間にとっては死の瞬間が即ち別れの時です。葬式にしても火葬場にしても、故人はすでに亡くなっているのですから、本当の意味で「別れを告げる」ことはできません。
「遺骨を引き取りお墓に埋葬する」というのは、別に普遍的な弔い方というわけではありません。
ヨーロッパでは火葬場に遺体を搬入したら遺族が遺骨を引き取らず帰ってしまう国もあります。
そもそも日本でも、焼いた骨をすべて引き取る「全骨収骨」は東日本のみの習慣です。西日本では全体の3分の1程度しか引き取らない「部分収骨」で、残りの遺骨は火葬場が処理するのです。3分の1しか引き取らないのであれば、全部引き取らないのとさほど変わらないのではないでしょうか。
少し前まで日本でも土葬が多く行なわれていました。棺桶ごと遺体を土の中に埋めますが、そこには墓石など建てられません。別の場所に墓参りをするための「詣り墓」を作っていました。遺骨がない場所で墓参りをしていた、つまり、遺骨は供養の対象ではなかったのです。
遺骨を引き取らないことにすれば、遺族が墓をどうするかで悩む必要もないし、管理に苦労することもなくなります。法事や年忌供養なども必須ではありません。本人が生前に希望を伝えたり、もしくは遺言に残すなどしていれば、遺族も受け入れやすくなります。
逆に故人が生前の希望を伝えていなければ、遺族が“任された”と判断すればいい。「お墓参りがしたいから」と墓を建てる人もいますが、すでにお別れしている故人をさらに弔おうとするのは、未練がましい振る舞いではないかと私は思います。
昔は代々の家を継ぐ、墓を継ぐ、といわれていましたが、それは「親の仕事を継ぐこと」とセットになっていた慣習です。現代ではサラリーマン家庭がほとんど。仕事も継がないのに家を継げ、墓を継げ、というのはなかなか難しいものです。葬儀のあり方も様々になった今、そこまで世間体を気にしなくてもいいのではないかと感じています。
※週刊ポスト2015年12月25日号