そんな親子3人の生活は1か月以上続いた。奈緒さんは辛い副作用に苦しめられながらも治療を続けたが、無情にも抗がん剤は効かなくなっていった。そこで、清水さんは3人での旅行を計画する。それまで奈緒さんの体力がもつ保証はなかった。が、3人には「生きる希望」が必要だった。
年末年始の休みを利用し、思い切って沖縄の竹富島にでかけた。血液検査の数値は奇跡的に落ち着いていて、空港で奈緒さんは生まれて初めてベビーカーを押した。竹富島の白い砂浜とその向こうに広がる遠浅の海。
〈「気持ちがいい」
奈緒は、息子に、何回も何回も頬ずりをする。
まるで、自分の感触を、刻み込むかのように〉
2014年の新年を、親子は竹富島で無事に迎えることができた。これが親子3人での「最初で最後の旅行」となった。
大阪に戻ると奈緒さんの状態が悪化。治療も効果が出ず、清水さんは「治療」から「緩和処置」に切り換える決断を下すしかなかった。同時に1月いっぱいで『ten.』のキャスター業を休むことにした。その席に戻れないことを覚悟しての決断だった。
それを伝えると奈緒さんは「ごめんね……。こんな疫病神で」とつぶやいた。思わず清水さんは怒鳴った。
〈「奈緒が疫病神のわけないやろ! そんなこと言うな!」
奈緒を怒ったのは、後にも先にも、これが最初で最後だった。奈緒に向かって怒ってるんじゃなかった、そんな言葉を口にさせてしまった、自分のふがいなさに腹を立てていた〉
そして2月8日、神戸にある別の病院に移ると、2月11日午前3時54分、奈緒さんの呼吸が止まった。清水さんはまだ温もりの残っている奈緒さんの横に、息子を寝かせた。
結婚生活は1年9か月。「ママ」でいられたのは、たった112日間だった。
妻を看取った後、仕事に復帰した清水さんは今、親の協力のもと子育てに励んでいる。
「この1年で息子は本当に大きくなった。息子の成長に負けないよう、僕も強く生きなければならない。夫婦や家族のあり方は人それぞれで、答えは一つではない。僕たち家族を通して皆さんが大切な人を感じてくれたなら、この本を書いた意味があるのかなと思っています」
※週刊ポスト2016年2月26日号