結局、のらりくらりと取材陣を煙に巻いた山路氏はテレビ的に人気者となり、終始ブレない大桃には新たなファンが付いた。が、麻木だけはワイドショーのMCやコメンテーターの仕事を一切失ったのである。すごく仕事が好きな人だけに、今も昔も「来た仕事はなんでも受けます」「自分からは降板しません」という姿勢を貫くものの、彼女が出ると、いまだに“お叱り”の声が視聴者センターに複数届くと聞く。実際、彼女が出ると「数字が2パー(セント)落ちる」と言われ、それが出入り業者を通じていっきに広まった結果、麻木の顔は、テレビにおいては深夜番組や通販番組でしか見ることができなくなった。
彼女は「会見を失敗した」というのが多くの芸能関係者の見方。プライドの高い人だけに、正直に言えないことがたくさんあったと思われる。テレビ出演を「遊んでいるようなもの」と表現し、そのギャラを山路氏の活動費にあてていたというのもわかり、テレビ制作者を怒らせたのもマズかった。
そして矢口真里だ。彼女が無名俳優と交際するとその男性がブレイクすることから、“あげまん矢口”として羨望の眼差しで見られ、「アイドルなのにトークが達者」ということでバラエティー番組から引っ張りだこだった彼女だが、いまは何をやってもうまくいかない。曰く、オファーに涙したというCMが、いきなり、お蔵入りしたことは記憶に新しい。
果たしてベッキーは過去のケースのどれに当てはまるのかと考えると、私には、どれとも異なるように思えてならないのである。
繰り返しになるが、ベッキーは相手男性が結婚していることを知らずに恋に落ちた。それからは相手男性の言うままに離婚を待ち続けた。その間、わずかに数か月。危険な不倫女にありがちな、相手男性宅への電話やメールをしたワケではない。
公表されてしまったLINEは確かに浮かれたものだったが、彼女の性格を考えると、その中で相手男性の妻を誹謗中傷するようなことは一切なかったと思われる。
でも、妻としては、知ってしまったからには絶対に二人の暴走を止めなければならなかった。その結果、マスコミ=文春の力を借りたということなのか。
彼女が「川谷とベッキーが一緒なら謝罪に応じる」と言っているのも、なんとなくだが理解できる。いったい、なぜこのようなことになったのか、その経緯を二人揃ったところで説明してほしいからなのではないか。彼女が、一歩、踏み出すためには必要なことなのかもしれない。
ベッキーのやったことはマズイかマズくないかといったら前者で間違いない。でも、第一報から4か月が過ぎようとするいま、文春への手紙をきっかけに、ファンや視聴者の皆さんに謝る機会をキチンと設けてもいいのではないだろうか。もう手紙は要らない。会見だ。
そこでは、どんなにカッコ悪くても、辛くて悲しくても、嘘偽りのない自分の気持ちを話すのが絶対条件。もちろん、リポーターや記者からの質問も受け付けるべきだろう。
当然、視聴者の方から御意見はたくさんいただくだろうが、テレビには視聴率という便利な指標がある。ベッキーがレギュラー番組に復帰した後の番組視聴率は、それこそ今後の大きな判断材料となる。
もちろん、ベッキーの“心の体力”が十分ついてからでいい。彼女の帰りを待っている人たちは居るし、番組もある。「早ければ来月」との見方もあるが、テレビ局としてキリがいいのは7月。私はそれぐらい…と見ている。