──著者は、「不食」でも体力が落ちないとも言っています。
羽田:枯れ木のような生活を送る中高年の人ならともかく、活動的な若い人が「不食」ではやっていけないのでは? 単純に性行為だってエネルギーが要るわけですし。それに、食事というのは単に空腹を満たし、栄養を摂取するという意味だけでなく、文化的な行為でもあるし、人と人とのコミュニケーションの道具でもあるわけでしょう。要介護状態で、外出もままならず、食べることが残された唯一の楽しみだという老人だっているでしょう。「不食」というのはそうした大事なことを失っているような気がします。
──なぜ「不食」に一定の関心が集まるのだと思いますか。
羽田:やはり自分に何かの刺激を与え、自分を変えたいと思っている人が多いということが背景にあるのではないでしょうか。その意味で、肉体改造が流行っていることとも共通するような気がしますね。同じ匂いがします。
また、「不食」は「断捨離」の食事版というか、居住空間やモノのミニマリズムが食に広がったものとも言えますね。しかも、「断捨離」やミニマリズムや「不食」がいいのは、捨てる、食べる量を減らすといった具合に、マイナスしていくことで実現するので、お金が掛からないことなんですね。だから、自分にも始められるという幻想を抱きやすいのではないでしょうか。
※SAPIO2016年8月号