大会準備の混乱の背景にも森氏の存在があった。
昨年7月にザハ案が白紙撤回されたとき、森氏は「生牡蠣がドロッと垂れたみたいで嫌だった」と他人事のように言い放ったが、もともと森氏は旧計画を了承した日本スポーツ振興センター(JSC)の有識者会議メンバーだった。
エンブレム問題も、私はコンペを主催する組織委に“2度目の五輪をどのような大会にするか”という哲学がなかったことが根本的な問題だったと考えている。だから佐野研二郎氏の案が何を訴えているかはっきりしないまま、「盗用」だけに焦点があたってしまった。
この時に新体制に切り替えていればまだよかった。だが武藤敏郎・事務総長らは報酬の一部を返納したのに、森氏は「無報酬だから返納しようがない」と、自らの責任は曖昧にした。
開催経費も招致時点では7300億円だったが、森氏は「当初より3倍、最終的に2兆円を超す」と膨らむ見通しを述べ、不足分を国や都の税金で賄う可能性を示唆した。そうした負担を求めるのに、説明責任は果たしていない。情報開示して費用削減の努力を示すどころか、組織委の役員報酬すら非公開のままだ。
国民の声は「森氏にNO」だ。その総意は国民投票で必ず明らかにできる(談)。
※週刊ポスト2016年8月5日号