バレエで鍛えられた肉体美には、女性からも感嘆の声があがった。本人は当時、「全裸が写ったポスターが世に出た時、周りの人の視線が着物を剥ぎ取っているようで、しばらくうつむいて歩いた」とコメントを残すほど恥ずかしがっていたという。映画史研究家の鈴木義昭氏が話す。
「それまで日陰だったヌードのイメージを変えたのは、由美かおるです。映画が大ヒットして、社会現象になりました」
1970年代中盤から1980年代にかけて、若手女優が続々と脱いでいった。デビュー間もない秋吉久美子は1974年、『赤ちょうちん』『妹』『バージンブルース』の3部作で堂々とした脱ぎっぷりを見せている。石田えりは1981年、農村を舞台とした『遠雷』でビニールハウスの中で一戦まじえた。2人とも、前出の岡田氏が口説いている。
「脱ぐことへの抵抗はないように思いましたね。それ以上に、この役をやりたいという意思を感じました。口説く時はあくまで脚本ありきです。脱ぎだけを売りにした映画は、不思議と観客に見抜かれて評判にならない」
桃井かおりは1974年、『青春の蹉跌』で家庭教師役の萩原健一と自慢の玉子肌で絡み、浅野温子は1977年の『聖母観音大菩薩』で着物を脱ぎ捨て、女優としてステップアップしていった。
「彼女たちが売れていったことで、映画で脱ぐことが女優の登竜門になりました」(鈴木氏)
田中美佐子は1982年の初出演映画『ダイヤモンドは傷つかない』の女子大生役、翌年の『丑三つの村』の古尾谷雅人の幼馴染役で濡れ場を経験。樋口可南子は22歳だった1981年に葛飾北斎の半生を描いた『北斎漫画』で絵のモデルとして大ダコと絡み、1983年には『卍』で高瀬春奈とパンティ1枚でレズシーンを演じる。1987年には山田詠美原作の『ベッドタイムアイズ』で、バーで出会った黒人米兵と行為に及んでいる。斬新な役に次から次へとチャレンジし、大女優の階段を上っていった。
※週刊ポスト2016年8月12日号