「進次郎さんがまだ1才の時、純一郎さんと奥様が離婚しましてね…。当時、彼女のお腹には第三子がいましたが、離婚後、小泉家の人間と会うことはありませんでした。以来、道子さんが母親代わりとなって、孝太郎さん(38才)と進次郎さん兄弟を育てたのです。授業参観や遠足、発表会など学校行事は道子さんが行くことが多かった。お弁当を作っていたのも道子さんで、進次郎さんは“ママ”と呼んで本当のお母さんみたいに慕っていました」
道子さんには離婚した夫との間に娘が1人いたが、進次郎が生まれた時には成人しており、兄弟には愛情を一心に注いだ。
「あの2人を育てるために生きてきたようなものです」
道子さんは口癖のように、周囲にそう話してきた。道子さんから与えられた愛が“柔”であれば、信子さんの愛は“剛”だった。
信子さんは、防衛庁長官などを歴任した父・純也、弟の純一郎と二代にわたり秘書を務めた女傑である。多忙ゆえに家を空けることも多かったが、幼少期の進次郎は、信子さんに叱られることも多かった。
「温厚で口調も柔らかな道子さんとは対照的に、信子さんはハキハキとした物言いで、男勝りの性格。とりわけしつけにも厳しく、“コラ! 進次郎!”と、ヤンチャな甥っ子を怒る声がよく聞こえてきたものです」(別の近隣住民)
政治ジャーナリストの浅川博忠さんが言う。
「信子さんは“陰の総理”とまで呼ばれた女性で、永田町のことを知り尽くしている。純一郎が総理時代にもいろいろアドバイスし、縁の下の力持ちというべき大きな存在でした」
2009年に進次郎が政界に進出した際、誰よりも面倒を見たのは信子さんだった。
「進次郎が純一郎の後を継ぐと決めた時、永田町のイロハをたたき込んだのは信子さんです。街頭演説の仕方から、支援者とのつきあい方まで細かく教え、勉強会や忘年会を開く際は信子さんが仕切ったこともありました」(永田町関係者)
道子さんが人間としての進次郎を、信子さんが政治家としての進次郎を育てた。どちらが欠けても今の彼はいない。
「後に進次郎さんも生みの母と再会を果たし、それ以来いい関係になったようです。その時、道子さんが“やっぱり育ての母より生みの母がいいのかな…”と寂しそうに言っていたのが印象的でした」(前出・小泉家を知る近隣住民)
しかし、進次郎が育ての母への恩義を忘れた日は一日たりともなかった。
道子さんが長年通う実家近くの整骨院で、こんな光景が目撃されていた。