それからも彼女は、転職を続けた。パン屋、文房具屋、デザイナー…。だが、これらの職を継続できなかった理由について、ピエールが説明する。
「昇格を嫌ったから。責任を伴う作業に携わることが、彼女には悪夢でした」
グレゴワールも横で、フーッとため息をつきながら、付け足す。
「仕事内容を批判されることだけでなくて、褒められることも嫌ったんです。でも、周りは分からない。会社の仲間たちは、誰一人として、彼女が苦痛を持って働いていたことなど知らなかったんです。妹は、ずっとマスクを被って生きてきたんですよ」
ここで私は、「なぜエディットがこのような性質の持ち主になったのか」と尋ねた。彼らはその都度、精神病患者の問題の多くは、成長に伴い顕在化していくという、私の考えがそもそもの誤りであることを2人は指摘した。
「エディットはそのようにして生まれたのです。われわれは、精神的苦痛が肉体からも生じていることを無視しがちです。彼女は、生理学や細胞学的な問題を抱えていた。彼女の脳の働き、神経細胞の働きなど、まったく理解していなかったのです」
私は、一般的に「鬱病」というと、仕事のストレス、失恋、肉親の死など、周囲の環境の変化から発生することが多いと理解していた。だからこそ、この病気は「周りのサポートがあれば、改善余地がある」と考えがちだろう。だが、エディットには、この「鬱病」とは、大きく異なる病状が現れていた。一時的な気のふさぎや昂ぶりではなく、人間生活そのものへの不適応である。
私が彼女の病名は何であったのかと尋ねると、2人は、声を揃えて言った。
「それが、病名は、未だよく分かっていないんですよ……」
ピエールとマディーは、娘の死の数日後、複数の精神科医に話を訊くと、彼らからは共通の答えが返ってきた。
「娘さんの病気は、精神医学の世界で種類分けをして定義できるものではない。唯一、確認できたのは、極度の過敏症であったことです」
そして、彼女が抱えていた病は、環境的な要因や、神経システムの異常からではなく、「体内の組織がストライキを起こし、ホルモンが機能しなくなった」との見解に辿り着いた。ピエールは、「ストレスを生理的にコントロールできなかったのです」と話す。
あらゆる治療法を彼女とともに試した彼らだからこそ、そう断言できるのだろう。その闘病生活は凄まじかった。