国際情報
2016.09.02 07:00 SAPIO
正力松太郎を操ったCIA局員の人生

ワトソンのアセットだった正力松太郎 近現代PL/AFLO
戦後史家・有馬哲夫氏が新たに公開された機密文書から戦後秘史を読み解く『SAPIO』の連載。今回は、「原発の父」こと正力松太郎氏を操ったCIA職員について有馬氏が綴る。
* * *
長官や副長官などを除いてCIA職員の姓名や身元を明かすことはアメリカの法律で禁じられている。したがって、アメリカの公文書はCIAの外国人アセット(*1)や協力者についての情報は公開するが、彼らと接触したCIA局員のものは公開しない。
【*1:IAが当該国で工作などに利用する人物。たとえば緒方竹虎や野村吉三郎なども。本人が利用されていると知っている場合と知らない場合がある】
ただし、ごくまれに、彼らの情報が公開されてしまうケースがある。彼らが裁判や議会で証言を求められた場合だ。
とくに、後者の場合は、秘密機関に所属していたことはあまり考慮されない。
ダニエル・S・ワトソンが1977年に姓名と身元を明かすことになったのも、アメリカ下院の調査委員会から証言を求められたからだ。
このワトソンこそは、1954年に読売新聞社主・正力松太郎の秘書の柴田秀利(のちの日本テレビ専務)に接触し、彼を通じて正力をアセットとして獲得し、読売新聞と日本テレビを使って反原子力・反米世論を鎮めたCIAのケース・オフィサー(*2)だった。
【*2:当該国で情報提供者や協力者をリクルートし、情報提供させたり、工作に利用したりするCIA局員】
ワトソンが証言した調査委員会とは、アメリカ下院暗殺問題調査特別委員会のことで、1963年に起こったケネディ大統領の暗殺に関する再調査を行うために1977年に設置されたものだ。ワトソンは、調査委員会に対し、自分は1965年から2年間CIAメキシコ支局で非公然プロパガンダ(*3)に携わり、1967年から1969年までは副支局長だったことを明らかにした。
【*3:当該国民に、それがある目的を持って行われているものだと気づかれないように行うプロパガンダ】
ケネディ大統領暗殺の実行犯とされたリー・ハーヴェイ・オズワルドは、暗殺事件の前にメキシコ・シティでソ連へのヴィザを申請するなどソ連大使館に接触していたことが知られているが、彼を監視し、電話を盗聴していたのがCIAメキシコ支局だった。
つまり、CIAは、ハーヴェイという危険人物が隣国でアメリカに敵対する国に逃れる手続きをとるなど不審な動きをしているのを知りつつ、結果として何もせず、情報も送らず、大統領が暗殺されるのを指をくわえて見ていたことになる。これが、ケネディ暗殺はソ連、またはCIAの陰謀だという説のもとになっている。
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