元巨人軍投手で、現在はうどん店を経営する横山忠夫氏(66)は、17年前に末期の大腸がんを切除し、その半年後、肝臓への転移がみつかった。それも切除したが、それから1年も経たないうちに、今度は肝細胞がんがみつかったという。肝細胞がんの治療のため、京大病院で肝移植をする決断をした。
「元気な家族に『お前の肝臓をくれ』と自分からはいえなかったけど、結局、女房に肝臓を提供してもらった。そうしたこともあって、変な話ですが、死ぬかもしれないとか、恐いとか、そういう風な感じ方はあまりしていなくて、周りの人に支えてもらって何とかなるという感覚が出てくるようになりました。性格がいい加減なのかもしれません」
横山氏はいまも自身が経営するうどん店には毎日顔を出し、妻や次男と一緒に切り盛りしているという。
“がんだらけ”で死が避けられない場合でも、目標を失わないことが大事だと長尾クリニック院長の長尾和宏氏はいう。
「肺がんが腰椎に転移し、脊髄を圧迫して歩けなくなっていた50代女性に『いま、一番何がしたいですか?』と尋ねると、『リハビリがしたい』とおっしゃいました。
主治医から運動を止められていましたが、私は許可し、彼女は毎日、頑張って楽しそうにリハビリをしました。2か月もたたないうちに旅立たれましたが、亡くなる3日前までリハビリを続けていました。亡くなるときは穏やかでしたね。彼女にとってリハビリは生きる希望だったのです」
※週刊ポスト2016年9月16・23日号