かつては活動弁士(無声映画の解説者)や映画館主をして日本映画産業に貢献してきた大蔵貢氏が、1947年に設立したのが大蔵映画株式会社である。今も新作を撮り続ける唯一のピンク映画会社だ。
大蔵映画の強みはなんといっても自ら新作を製作し、東京・上野の直営館「上野オークラ劇場」ほか国内の劇場に配給する興行基盤を築いたところにある。
ピンク映画は1960~70年代に全盛期を迎えたが、1980年代半ばのビデオデッキ普及とAV急成長により長い低迷が始まる。さらに1990年代から現在に至るインターネットの隆盛で大打撃を受けた。
そんななか、大蔵映画に新風を吹かせたのが、2000年に入社した斎藤豪計氏だ。氏は現在の劇場支配人で、入社以降、様々な改革を行なってきた。
「それまでピンク映画とは全く無縁の営業畑を歩いてきたのですが、当時いつも心に満たされないものを感じていて、最後の転職チャンスと思えた34歳を迎えた時、何かこう、心がほっこりするものを売りたいと(笑い)。そして知人の誘いを受けて大蔵映画に入社しました。
最初は右も左もわからなかったけど、大改革が必要だと感じ、まず番組案内表を作りました。そして次に館内の暗いイメージを変えるべく内装を変えました。ブログやSNS発信も始め、女優や監督を呼んで舞台挨拶を頻繁に行ない、お客様との距離を縮めました。そして2010年に58年の歴史を誇る上野オークラ劇場を閉館して新館に建て替えるプロジェクトに携わりました」(斎藤氏)
この大改革には劇場スタッフとして2005年に入社した鍋島宇宙氏による支えも大きい。10代の頃から昭和の古き良き映画“館”好きが高じて入社したという。
「歴史を感じる建物の温かみが大好きで、実は正直、旧館とのお別れは寂しい気持ちもありました。“昔、終電逃してオークラ劇場で夜明かししたよ”なんていう馴染みのお客様が離れるのではないかと不安でした。一方で新館建設は必ず新しいファン獲得を狙えるという思いもありました」(鍋島氏)
斎藤氏にもこの葛藤はあったが、古参の客への対策も講じた。
「館内はバリアフリー設計の広いロビーで長時間滞在も快適ですし、聴覚障害者にはヘッドホンの貸し出しも行なっています。同時にシネコン並みに明るく清潔な内装でシートも高級にし、若い方や映画ファンの方にも気軽に入っていただけるようにしました。古き良き昭和の香りを残すためにカップ麺の自販機をあえて置いたり(笑い)」(斎藤氏)
また、新館設計にはこんなこだわりもあるという。