「オレわからん、というのが正直なところでした。おさむとの漫才のやり方を忘れてましたから、また一から出直しみたいなもんでしょう。結局『やす・きよ』の背中も見えへんかったけど、やすしさんが亡くなったから、これはもう無理ですわ。せやけどザ・ぼんちは、まだ相方と話しようと思ったらできるやないかと思ってね。それからですわ、相方のおさむのことも見れるようになったのは」
2009年には、元相方の亀山房代が幼子を残して急逝した。早朝、突然の心肺停止だった。享年42歳。
誰からも慕われ、好人物で知られた亀山の突然の死はショックだった。自らの出身地の近くに今も残る、三河万歳を研究するほど勉強熱心な女芸人だった。
「あの漫才やったらいいのにーとかね、今でも亀山の死を知らん人から言われます。いとし・こいし師匠からも『君らの漫才が好きやった』と言われました。思い返したら、ぼく漫才を三回やらせてもらってますねん」
初代ザ・ぼんち、次にまさと・亀山。そして新生ザ・ぼんち。元相方の死を背負い、里見まさとは今もまだ、舞台に立ち続けている。
「最近、ようやく漫才を楽しめるようになりました。一つの漫才の中で、ぼくも一回はボケるようにしてますねん。その方がお客さんも楽になるかなと思って。これまでは賞も狙ってきましたけど、この一年はゆっくりやりたい」
一芸を極めようとした亀山が三河万歳から、そして里見まさとが講談と落語から学ぼうとしたことは偶然ではない。一芸を深く突き詰めようとすれば、必然的に古典に求めることになる。古臭い萬歳は、現代の若者からもてはやされる漫才へと昇華された。同じようにザ・ぼんちの漫才は、次世代の“新たなる古典”になったのである。
●里見まさと(さとみまさと)1952年、兵庫県生まれ。1972年、ぼんちおさむとザ・ぼんち結成、漫才ブームで頂点を極めた。今年、35年ぶりに東京でライブを行った。
文/上原善広(うえはら・よしひろ)1973年大阪府生まれ。『日本の路地を旅する』で大宅賞受賞。近著に、『一投に賭ける 溝口和洋、最後の無頼派アスリート』。
※SAPIO2016年12月号