「昭和初期に、店を始めた元次郎(もとじろう)さんの名前をつけたんですね。当時は酒屋じゃなかったみたいで、戦後に、祖父が酒屋にして、同時に立ち飲みができるようにした。だから、店は4代になりますが、私は酒屋の3代目です」(成浩さん)
カウンターの前に勢ぞろいしたいくつもの、いつもの顔。「へえー、元ってそういうことなの。そういう歴史があるんだ」と、納得のうなずきを見せる客もいたが、多くは、無関心を装っている。
「大島でも元大島でもいいじゃない。だって、私らが立ち飲みに来るのはいつもここだけなんだからね。要するに、伏見のここにある、私らの店なんだよ。でも、大島元の元って、そういうことなんだね。これでいつもよりすっきり酒が飲めるよ」と、ほぼほぼ全員、大笑い。
そんな常連客をカウンターの向こうからやさしく見つめる女性がいた。美枝(よしえ)夫人だ。
「彼女はね、正直言って、この店の花ですよ。見たとおり、だれもが認める美人さんだけど、ハートがそれ以上に素敵なんですよ。私も含めてみんな、酒がうまいだの、ほっとするだの言ってるけど、すべてこのママの存在があるからなんだよねえ」(60代。建設業)
「うん、美人で気配りが行き届いてて。だからつい足が向いてしまう。女性客だって、彼女に会いたくて常連になった人、多いですよ。龍馬の嫁さんのお龍さん? 私の中では、オードリー・ヘプバーンですけどね」(60代。化学系)
美枝さんは、恥ずかしさのせいか、いつの間にか店の奥に消えていたが、彼女の姿を探す視線を遮るように、いきなり焼酎ハイボールが差し出された。
「これ飲んでますか?この店にも好きな人が多いけど、うちでは嫁さんも大ファンなもんで、毎月、ケース単位で買っているんですよ。まず、甘くないでしょ。飲みごたえがあるでしょ。そしてとにかくうまいんだもの。日本中の酒飲みに飲んでもらいたいんだよね」(60代。公務員)
底冷えが代名詞の古都・京都の夜が深まってきた。
「飲むほうの仕舞い時間は夜の8時にしているんですけどね。酒屋のほうを夜9時まで開けてるもので、みんななかなか帰らんのです。まあ、楽しく飲んでいるのを帰れとは言えませんので、しょうがないです。酒屋としてこの町で70年になるわけですが、みんなとその歴史をこれから先も繋いでいきたいと思っています」(成浩さん)