だが生き物である以上、たやすく「増産」ができるわけではない。国内の牛肉は品薄になり、たちまち価格は暴騰した。1904年から1905年の1年間で約30%、生肉価格が高騰。その頃から民間消費は豚肉へと移行していく。不足した牛肉の代わりに豚肉が食肉として脚光を浴びるようになる。
当時の報知新聞には豚肉食をテーマとした啓蒙小説も連載され、日常の食卓にも肉が昇るようになった。1908(明治41) 年には日本で最初の豚肉料理書『家庭重宝最新豚料理』(原田嘉次郎)も出版された。
とはいえ、兵庫や岡山といった牛肉の一大生産圏のある関西では牛肉食が色濃く残った。1933年の農林省畜産局『全国都市に於ける主要畜産物の需要供給概況』によれば、都市における年間豚肉消費量の一人あたり平均は 366 匁。もっとも関東の 773 匁に対して、近畿と四国は 100 匁 / 人・年にも満たず、生産量も関東が全国の 6 割超を占めた。
翻って現代でも、この数年で肥育用となる和牛の子牛価格は約2倍に跳ね上がった。2010年の口蹄疫や2011年の東日本大震災による離農の影響もあり、和牛の生産頭数は減り続け、価格も右肩上がりが続いている。そんな中、羊肉やジビエの専門店が続々オープンしているのは偶然ではないのだ。
折しも、昨年末には熊肉の加熱不足による食中毒も起きた。旋毛虫での食中毒としては35年ぶりになるという。いまだジビエが食文化として醸成されていないからこその事故ではあるが、野生鳥獣に目が向けられるようになったからこそ、こうした事故も起きるようになる。熊肉での食中毒騒動は、食肉新時代の本格的到来を象徴する出来事でもある。
2017年は明治の文明開化から数えて150年目。僕らはまだ肉の途中である。
●参考文献
日露戦争を契機とする牛価高騰と食肉供給の多様化(野間 万里子)農林業問題研究 47(1), 60-65, 2011-06-25
日本食肉文化史(財団法人伊藤記念財団)