「人生最大の幸福は一家の和楽である。円満なる親子、兄弟、師弟、友人の愛情に生きるより切なるものはない」とは、細菌学者・野口英世の言葉。今回のテーマは、“親子の愛”。いつも一緒にいるからこそ、見えないことがある。逆に、意外な部分を見てくれている。家族といえど、お互い思いやりを持っていないと絆は簡単に壊れるもの。そんな気づきをもたらしてくれるエピソードを49才のパート主婦が語ってくれた。
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私は父が嫌いでした。いつも命令口調で怒鳴りつけ、酒を飲むと暴れるような人だったからです。母は父に口答えもせず、従っていました。そんな母の態度に反感を覚えましたが、「私たちのために、がんばってくれているんだから」と、やさしくたしなめられました。
母が亡くなったのは、私が20才の時でした。すい臓がんでした。その通夜での父の態度を、今でも忘れられません。葬儀の手伝いをしてくれるご近所さんや通夜に来てくれた知人友人にお酒を振る舞いながら、酔った父は大笑いしていたのです。「おれもこれで自由だよ」と言いながら――。
私は怒りに震えました。その後すぐ、私も妹も家を出てひとり暮らしを始め、そのまま結婚。父との交流はないまま月日は流れました。
そんなある日、病院から“父、危篤”の連絡がありました。急いで駆けつけたものの、私たちが到着した時にはすでに脳梗塞で亡くなっていました。年老いた父の顔を見ても他人のようで、涙も出ませんでした。
父の家に遺体を運んで、妹たちを呼び、葬儀の相談をすることになりました。私も妹も父のためにお金を使いたくないと話していると、
「父親が死んだのに、なんでそんな話しかできないんだよ!」
そう叫んだのは、私の高校生になる息子でした。
「じいちゃんは、ばあちゃんが死んでつらすぎて、通夜でバカ騒ぎをしてしまった。それで娘たちに嫌われたけど、仕方がないって後悔してた。自業自得かもしれないけど、いつも寂しそうだったよ」
私たちは顔を見合わせました。息子と父が秘密で会っていたことなど知りませんでした。
そして息子は、「いつもばあちゃんの仏壇の前で、『早く会いたい』って言っていたんだ」と、ひとり涙を流すのです。私は父の気持ちを、知ろうとしていませんでした。ちゃんと話をしていれば…。
お父さんごめんなさい。天国で、お母さんとまた仲よく暮らしていますように。
※女性セブン2016年1月26日号