2年半前に市村が胃がんで休演した際、息子たちは6才と2才だった。息子に父親の『ミス・サイゴン』を見せたい──篠原の強い思いもあったという。
「息子たちに焼きつけておいてほしいという気持ちはもちろん、篠原さん自体、夫であることを超えて市村さんのファン。誰よりも復帰を望んでいたでしょう。でも激しく歌って踊るミュージカルは健康のために引退してほしいという妻としての気持ちもある。復帰と卒業は篠原さんにとっても、市村さんと同じように言葉にできない思いがあったと思います」(関係者)
市村が初めて父親になったのは59才。仕事が終わると飲み歩いていた生活を改め、たばこもやめた。息子と同じ舞台に立ちたいという夢もインタビューで語っている。
《遺伝子を引き継いでいるわけだけど、やることなすこと息子はとにかく僕のまねをする。劇場が好きだし音楽に非常に反応する。(中略)息子との会話を通して、苦しみ、悩み、喜びというのがこれまで以上に深まった気がする。将来、役者を希望したら初舞台を見てみたい》
そんな夫に篠原は寄り添ってきた。
「子育てや家事を分担する夫婦でしたが、市村さんの病気以降は篠原さんは仕事をセーブしていました。市村さんのためにベランダで無農薬野菜を育て、それをメニューに取り入れたり、意外といっては怒られるかもしれませんが、かいがいしかった」(前出・関係者)
千秋楽、市村はカーテンコールの最後に、舞台から客席に投げキッスをしていた。それは復帰までを支えた愛妻と、俳優人生を一変させたエンジニアという役への感謝の証でもあった。
※女性セブン2017年2月9日号