「皇室の歴史の中で、民間から皇太子妃として嫁いだのは美智子さまと雅子さまだけ。つまり、苦しみやプレッシャーを共有できるのもお2人だけなのです。美智子さまはそれをご存じだから、雅子さまに対してあれこれと伝えるのを控えられていた。それが途絶状態に結びついてしまった面もあるのでしょうが…」(前出・皇室ジャーナリスト)
それは、どこにでもある嫁と姑のちょっとしたボタンの掛け違いだったのかもしれない。だが、雅子さまと美智子さまを待つ皇室にしかないしきたりが、話を複雑にする。
「皇室では、天皇と皇后は絶対的な存在。嫁と姑という関係性は変わらなくても、即位の日に皇族としての雅子さまと美智子さまの立場が逆転するのです」(皇室記者)
退位後の陛下と美智子さまは、一部の私的なお出かけを除いて公の場に姿を見せられることはほとんどなくなるといわれている。
「即位されてからの両陛下は昭和天皇と比較され、“伝統を軽んじている”“家庭的すぎる”と批判に晒されました。今回は、両陛下が存命のままでの御代がわりとなるわけですから、そういった比較がより強く吹き荒れるかもしれません。それを少しでも避けるため、美智子さまはあえて“沈黙”を守られることでしょう」(前出・皇室記者)
両陛下の「祈りの旅」の始まりは、1991年の雲仙普賢岳噴火による避難所訪問だった。
「体育館の床に膝をつかれて被災者を励まされるお姿に、当初は“天皇皇后が見せるべき姿ではない”と批判が起きました。ところが、両陛下が頑として続けられたことで、今ではそれが慰問のスタイルとなり、他の皇族方にも受け継がれている。美智子さまは、そうした実体験から、静かに雅子さまのことを見守られることでしょう」(前出・皇室ジャーナリスト)
早くに大正天皇を亡くした貞明皇后は皇太后時代、公の場では香淳皇后の下座に控え、徹底的に皇后の立場をたてようとされていたという。美智子さまにもその時のことは語り継がれ、強くお心に焼きつけられているのかもしれない。
次代の幕開けはすぐそこまで迫っている。雅子さまのご覚悟と美智子さまの心遣い…描かれる未来図に隔たりはない。
撮影■雑誌協会代表取材
※女性セブン2017年2月9日号