その第1打席。左バッターボックスに入った安田がつぶやいた言葉を、PL学園の捕手で、主将だった梅田翔大から聞いたことがある。
「自分もPLに入りたかったんです」
安田は、1980年代から2000年代にかけて、大阪の高校野球を牽引してきた名門・PL学園に入学予定だったというのだ。実は、安田の11歳上の兄である亮太が、かつてPL学園の野球部に在籍し、1歳下の前田健太(現ドジャース)とバッテリーを組んでいたというのである。兄は現在も現役を続け、三菱重工名古屋で主将を務めている。昨秋の大阪大会の際、安田はこう語っていた。
「自分が誰よりも憧れている野球選手は兄で、今も尊敬しています。時々、兄からもアドバイスをもらっています」
その兄と同じ道を歩もうとしたが、安田が中学3年生だった2014年10月、PL学園は翌年からの新入部員の募集停止を決定し、安田は履正社に進学した。
憧れのPLとの試合で、安田はバックスクリーンの左に建つブルペンの天井に当たる、推定130メートルの特大本塁打を放った。同年夏以降の「休部」が決まっていたPLに対する、いわば惜別の一打となった。
「やっぱりPLが相手で、気持ちが入りました。手応えはありました」