最初の1年間は客前に出ることもなく、「仕込み」と呼ばれる裏方として、芸妓や舞妓の手伝いに徹しながら、行儀作法や京言葉を学んだ。日中は舞妓の教育施設・八坂女紅場学園に通い、日本舞踊などを身につけた。同期は20人いたが、仕込みの1年で7人が脱落。理想と現実のギャップは感じなかったのか。
「怒られることばかりでしたね。でも、舞妓はんになって、お客様の前で恥ずかしい思いをするのは自分どすから。自分だけでなく、指導してくれてはるおねえさん方の恥にもなってしまいます。立派な舞妓はんにしてもらうために、育ててもらっているという感覚があったので、辛いとは感じなかったどす」
仕込みや舞妓の5年間という長い下積みで着実に成長した小扇は、芸妓として独立。置屋を出て花街近くのマンションで暮らしている。27歳になった今、同期は自分を含めて2人だけになった。
「今は花嫁修業という言葉も聞かなくなりましたけど、京都の花街ではお茶もお習字も習わせてもろうて、どこに出しても恥ずかしくない女性にしていただけます。おねえさん方には“していただく”という感謝の気持ちを忘れたらあかんと教えてもらいました。いつまでも覚えとかなあかんなと思います」
京言葉で美しくしとやかな様を「うつやか」という。日本女性が本来持ち合わせていた「うつやか」に触れたければ、花街のツテを辿るしかないようだ。少女が一流の芸妓になるまでの4年間に小林氏が密着した写真集『うつやか』は、光村推古書院より3月末に発売される。
撮影■田中智久
※週刊ポスト2017年3月24・31日号