◆「彼女」から「妻」へ
1994年にダイエー(現ソフトバンク)に入団した小久保は1995年オフに、4歳年上の女性と24歳で結婚。その後、一男一女を授かるも、2008年に離婚している。
「離婚当時、福岡の地方テレビ局の女子アナとの交際が報じられ、“不倫略奪愛”と騒がれた。後に小久保さんは自伝で『週刊誌にでたらめな記事が載った』と不倫を否定したが、気配りができてモテるため、その後も女性の噂は絶えなかった」(球界関係者)
婚姻中、小久保は試合がない日のチーム練習には、当時小学生だった長男を連れてくるほど子煩悩な父親だった。が、離婚後、子供は前妻が引き取ることとなり、以降はひとり暮らし。2012年の現役引退セレモニーにも息子や娘の姿はなかった。
引退翌年の2013年に侍ジャパンの監督に就任。しかし、監督はおろか指導経験もなかったため、手腕を不安視する声は絶えなかった。
批判が最高潮に達したのが2015年11月に開かれた国際大会「プレミア12」だ。同大会の準決勝・韓国戦で8回裏まで3対0とリードしながら、継投ミスを重ねて逆転負けを喫した。
「勝たないといけない中での継投の難しさは感じていた。僕の責任」
と小久保は真っ赤な目で語った。スポーツ紙の論調も“監督失格”に傾いていく。
「最悪継投ミス」
「代表監督を解任すべき」
まさに四面楚歌となった小久保の前に現われたのがAさんだった。小久保の知人が語る。
「プレミア12直後の2015年暮れに博多の繁華街で小久保さんにバッタリ会ったとき、Aさんを紹介されました。まだ付き合い始めのようで、『俺の彼女です』と紹介してくれました。批判の嵐にさらされていた小久保さんに癒しを与えたのが彼女だったのでしょう」
前述した通り、現在は周囲にAさんを「妻」として紹介している。いつしかAさんは「彼女」から「妻」に格上げされたようだ。