参拝室はシンプルだった。墓石はない。台の上に、阿弥陀如来の立像があり、その手前に花立と焼香台。持ってきた花を供え、焼香し、阿弥陀如来に手を合わせる方式だ。壁面の左右に大型モニターが設置されていて、法名や遺影、思い出の写真、画像などが存分に表示される。この空間で、故人からたくさんのメッセージを受け取る、というわけだ。手向けた花は、参拝後、ロビーにある集合の花立に生ける。
「遺骨を持ってきてほしいというかたには、納骨室の棚から係の者が出してきて、手でお運びします」
納骨室は、参拝室の向こう側にあるという。
「もっとも、お申し付けになるかたは、まれです」と聞き、私は衝撃を受けた。自動搬送式のお墓では、共用の墓石に、コンピューター制御によってベルトコンベアで運ばれてきた厨子(遺骨を入れた箱)がセットされるシステムが“売り”だ。そこに向かって手を合わせるわけだ。
先ほど「なぜ、お参りのたびに遺骨を運んでくる必要があるのか」「遺骨に向かって手を合わせても意味がない」と聞いたとき、正直にいうと、挑発的な言だと思ったのだが、目からうろこが落ちる気がした。
いや、私は自動搬送式がよくないといいたいのではない。コンピューター制御も、ベルトコンベアもいいではないか。ただ、「遺骨に向かって手を合わせる」を最重要視したものだったと気づかされたのが衝撃だったのだ。もとい、アナログ方式のここは、家族用(骨壺は1つ。入りきらない分は、永代供養墓に分骨する方式)で48万円ぽっきり。自動搬送式のお墓のざっくり半額なことも衝撃だった。
このシステムは、平松住職自身が考案したオリジナルで、販売も業者を通さず、直属の僧侶5人で行っている。利用者は2000人を超える。「青春の思い出の地に眠る」を選んだ早稲田大学の卒業生も結構いるそうだ。
「安いから、怪しいだろうと先入観を持って見学に来るかた、結構おられますよ」と平松住職が笑う。私もそうだった、とは最後まで言えなかった。
※女性セブン2017年5月4日号