もちろん、私が知事になってから事務方の職員が海外出張を豪華にしたわけではない。都知事である私の役割は、出張先でのスピーチ原稿を考えること。出張経費を事前に細かくチェックする発想がなかった。だから、事前の精査を怠ったと批判されるなら、それは甘受せざるをえない。
だが、たとえば共産党が、歴代都知事の出張費と比べ、「舛添時代は異常に高い」との論法を使ったのは疑問だった。東京五輪開催の決定前、決定後では、海外出張の意味合いは大きく異なる。しかし、そんな反論が聞き入れられる余地はなかった。
“左”から矢が飛んできたと思えば、次は“右”だった。同時期、私は、手狭になった東京の韓国人学校を、都立高校跡地に拡張整備させる方針を発表していた。
ヘイトスピーチが跋扈する今こそ、日本で学ぶ韓国の子供たちに、安心な学びの場を提供したかった。しかし、これが「親韓派の知事を排除せよ」といった空気を醸成したようだ。右翼の街宣車などが都庁周辺のみならず、私の自宅にまで押しかけてきた。
「国辱外交をやめろ!」
そうスピーカーでがなりたて、最大で車両17両もが住宅街に押し寄せた。