これらの指導者はそれぞれ異なるキャラクターではあるが、共通する点は、客家らしさとも言える逆境に耐える粘り強さと、目的の達成を諦めない強い意志の持ち主だったことだ。ほかに日本で活躍する台湾出身の客家には、女流囲碁で現在三冠を誇る謝依旻(シェイイミン・*注4)がいる。
【*注4/1989年生まれ。台湾出身の女流囲碁棋士。台湾中部の苗栗という客家が多く暮らす地域で生まれた。幼い頃から囲碁を始め、すぐに才能が注目されて日本に渡った。女流最年少の14歳でプロになり、女流名人9連覇を含め、女流棋聖など3冠を保持している】
だが、そんな客家の定義はなかなか難しい。外見はほかの漢民族となんら変わらないが、独自の客家語という中国語方言を操り、食生活や習俗もかなり独特だ。
「日本客家述略」という著書がある客家研究者で医師の周子秋は、客家の性格をこう評する。
「中国大陸で戦乱から逃げて移動を続けた集団記憶があるので、贈り物や蓄財では、持ち運びやすい黄金を好みます。節約を重視しますが、子供の教育にだけは大金を惜しまない。中国社会の中でもひときわ変わった集団なのです」
◆出身地は「広東省」
祖父・余家麟は台湾での事業経営に限界を感じ、1932年に妻子を連れて来日した。明治大学を卒業した余鴻彰と東京育ちの大塚京子は、東京で出会った。空手家で礼儀正しいハンサムな鴻彰と、日本舞踊の踊り手だった京子は「2人とも一目惚れ」(京子)というほど、出会ってすぐに恋に落ち、まもなく余貴美子が生まれた。