鴻彰は若くしてガンで他界し、客家の伝統や台湾との結びつきを伝える人間は一時、余貴美子の周囲にはいなくなり、役者としての人生に忙しく邁進していった。余貴美子が客家というアイデンティティに立ち戻るきっかけになったのは、2012年のNHKの「ファミリーヒストリー」という番組だった。ナレーションを務めていた余貴美子と、プロデューサーとの間で、ある時、外国人登録証明書(現・在留カード)の話になった。
余貴美子は日本に帰化していない。父の死後、母からは何度も勧められたが、「そういう気持ちになぜかならないんです」と応じてこなかった。外国人登録証明書には本籍の記載欄があり、「広東省鎮平村」と書かれていた。
台湾出身なのに、なぜ広東省?
子供のころからの疑問に興味を持ったNHKが、番組として取り上げることにした。だが、台湾の余家の親戚たちを見つけることから難航した。日本で事業を行い、一家を養いながら、客家活動にも奔走する慌ただしい人生を送った余家麟の時代から台湾との連絡はほとんど切れていたからだ。
前出の周子秋にNHKから連絡が入った。余家とは関わりはなかったが、「客家の仲間のことなら」と間に入り、台湾の客家団体の中から余家のグループを探し出して調査を依頼したという。
中国の命名には「輩行」という概念があり、同世代の兄弟の名前に同じ文字を入れる。客家は特にその傾向が強い。余家麟の名前の「家」という名前から「余家」の分厚い家系図をたどると、北部の桃園から新竹一帯に暮らしていたそれらしき一族が見つかった。それが余貴美子の一族だった。