──日本マラソンの伝統は円谷さんから始まった。
「そうです。この50年、彼らが努力で築いた功績の上に、僕らが甘えさせてもらってやってきた。日本の伝統を受け継いで、世界と戦うんだという気持ちで頑張ってこれた。
その伝統がここ14、15年、一気に無くなってきている。日本のマラソンとはどういうものか、忘れ去られている。本当に危機なんですよ、今、日本のマラソンは。このまま弱い状況が続くと、ファンにも見放され、テレビ中継もなくなるかも知れない。マイナー競技になってしまう。それでは、円谷さんたちに申し訳ない。
円谷さんたちに恩返しするためにも、東京で盛り返さないといけない。それにはもう一回原点に戻って、僕の持っているものを活かせるのであれば皆に伝えて行こう、と」
火中の栗を拾う、そんな言葉が浮かんでくる。
名だたる国際レースで15戦10勝の金字塔を打ち立てた瀬古をはじめ、宗茂、猛兄弟、中山竹通らが鎬を削っていた1980年代、日本は世界をリードしていた。だが、森下広一が銀メダルを獲得した1992年のバルセロナ五輪後、世界と戦えなくなっていく。女子も2000年のシドニー、続くアテネと、高橋尚子、野口みずきの金メダル獲得以降は低迷していく。