◆「タイムスリップしたような感覚に…」セザンヌとの出会い
原田氏が『セザンヌ夫人』と初めて会ったのは、20年以上前、テート・ギャラリー(ロンドン)でのセザンヌ回顧展でのことだった。展覧会でいくら感動しても複製画は買わない原田氏が「身近に置いて、毎日眺めたくなった」本作の複製画は、今でも書斎の壁に掛けられているという。
セザンヌの絵は、冒頭の“絵の前に立つ意味”を原田氏に気づかせた作品でもある。2015年2月、小説の取材で厳寒のニューヨークを訪れた際のことだ。偶然、メトロポリタン美術館で開催されていたセザンヌの特別展。妻オルタンスを描いた肖像画ばかり30点以上を集めた会場で、1枚の絵の前に立った。
「こちらを見つめるオルタンスの瞳を見つめ返していると、ふと気が付いたんです。絵の中のオルタンスが見つめているのは夫セザンヌ。私はセザンヌのまなざしで、彼が描いたオルタンスを見つめている。時空を超えて、ふたりがいる場所に連れていかれたような、まるでタイムスリップしたような感覚になりました。これはインターネットや本などでは得られない体験。その作品の前に立たないと得られない体験なんです」
ハードルが高いと思われがちなアートの世界に気楽に触れてもらうために、自身の体験を織り交ぜて解説しようと考えた。
「私の個人的な体験を入口にすれば、読者の方も入ってきやすいのではないかと考えました。ゴッホがどのような心持ちで『星月夜』を描いたのか、モネがどんな人生を送ったのかなど、作家が個人として体験したことを知ると、作品をぐっと身近に感じるものですよね。これは絵と長く付き合ってきたから得られた感覚です」