そしてその年の大晦日、彼と彼女は初めて会う約束をする。〈赤い自転車が停まっており、その前にその人がいて会釈した。ほっそりした坊主頭の人だった〉と描写される場面はまるで映画のようだ。
やがて長吉は小説集を自費出版したいと言って原稿と手付金を託し、本が出来たら京都で雲水になるなどと言うが、一時は芥川賞候補にも上りながら30代を放浪にやつした彼の文学は、既に圧倒的だった。そうこうして『新潮』に掲載された『鹽壺の匙(しおつぼのさじ)』が三島賞等を受賞。この時の愛の告白ともとれる受賞の言葉が背中を押し、1993年秋、2人は結婚。〈この世のみちづれにして下され〉という長吉との生活が始まった。
◆白洲正子さんも怖がる程の殺気
直木賞受賞前後の狂騒や、いつからか執拗に手を洗うようになった長吉の神経症発覚まで、高橋氏は〈水道料金〉の増え方など、あくまで客観描写に徹している。
「日記には『包丁3本隠す』なんてことが書いてあって、つらかった記憶ほど鮮明でしたけど、やはり個人的な感傷は邪魔になりますから。私自身、彼のことが知りたくてこれを書いたものの、今でもわからないことだらけなんですよ。長吉はとにかく謎や揉め事の多い人で、あの白洲正子さんが『彼は怖い』と言うくらい、殺気走った感じもあったので」