テレビで発表されるときは目をそらし、付け人に耳をふさいでもらっていた。学生時代から、研究する時間があったら自分を鍛えたほうがマシである、という信念を持っていたそうだ。
「不安はどんな相手に対してもあるし、研究したとしてもそれを拭えるものじゃない。だったら自分の相撲を信じるしかない」と後年語っている。その中でも、明日対戦すると知った夕方から翌日までの二十四時間を悪夢に変える存在が、安美錦だったのではなかろうか。無理もない。安美錦には十一連敗していたのだから。
ひところの琴欧洲も、安美錦との対戦を恐れていた。二〇〇七年九月場所から二〇一〇年十一月場所まで、安美錦と琴欧洲の対戦は十七回あった。結果は十二勝五敗。これは大関琴欧洲の側の成績ではない。安美錦が十二勝している。
私は、明日は安美錦と琴欧洲の取組があると知ると「ああ、琴欧洲かわいそうに」とつぶやいていた。控えている土俵下や仕切りの最中、琴欧洲の顔は『ちびまる子ちゃん』の花輪君の、青ざめて顔面に縦線が何本も描かれている表情に見えた。安美錦に後ろに回られ、乙女走りで土俵外まで逃亡した琴欧洲の姿は、今も鮮やかな記憶として残っている。
二〇〇八年五月場所、琴欧洲が圧倒的な強さで優勝した輝かしい場所で唯一の黒星をつけたのも、横綱の朝青龍でも白鵬でもなく、安美錦だった。十一日目に朝青龍、翌日には白鵬を破り初日から十二連勝のあと、十三日に安美錦により一敗。十四日目と十五日目は勝利し十四勝。持ち直したのではない、一敗して気が楽になったのでもない。琴欧洲は安美錦に向き合ったときにのみ、ザザザと心に雨が降っていたと思われる。