石田:他にも、三成の末裔や歴史愛好家で組織した「妙高山麓『グループ三成』」の代表として、慰霊祭や戦没者法要などのイベントに出席しています。
大谷:先祖が偉人だと、子孫は大変。私の母が吉継を慰霊する関ヶ原の宝蔵寺をたまたま旅行で訪れた際に、住職さんに「実は子孫です」と明かしたところ、「じゃあ法要に出てください」となり、それから私が毎年その法要に出なきゃいけなくなった。徳川さんは世が世なら将軍の立場ですが、そういった苦労というのは?
徳川:苦労というわけではありませんが、毎年4月17日と5月17日には、久能山東照宮と日光東照宮での例祭があるので会社を休まなければならなかったですね。
小早川:徳川さんは学習院大学卒ですよね。私、学習院の後輩なんです。(副総理の)麻生太郎君と同期で。
徳川:そうなんですか、奇遇ですね。私は初等科からずっと学習院です。あまりいい生徒ではございませんでしたが(笑い)。
戦後第1期生で、当時は男だけでしたが、松平、松平、徳川、徳川と、徳川の家系だけで4人いたんです。でも私がいちばん仲が良かったのが、(徳川幕府を倒した)長州藩の子で、一番嫌なヤツが松平だったりしました(笑い)。実は私も生まれは「会津松平家」でしたが、中等科のときに徳川家の養子となりました。
生徒は私以外もみんな爵位を持つ家の子息ばかりだったので、特別扱いされたことはなかったですね。
小早川:私の学年も、そういった感じです。
徳川:私たちよりも、むしろ先生方のほうがご苦労は多かったのではないでしょうか。中等科の歴史の授業で、戦国時代に入ると、いきなり教科書を何十ページも飛ばして、明治時代に飛んじゃったりする。私たちに気を遣ってくださっていたのでしょう。
※週刊ポスト2017年9月1日号