彼には生きることが死ぬに値する苦しみだった。治療が期待できず、さらには耐えがたい苦しみを抱かせる精神疾患の存在について私が勉強不足であったことを白状しよう。彼は医師の注射で安楽死を遂げる前に、妻に落ち着いた口調でこう語った。
「もし、あの世があるのなら、君に居心地の良いスペースを取っておくよ。でも、急がなくていいから……」
◆時には罪悪感を持つ
スペインでは、安楽死が容認されていない。29年間、寝たきりだった全身不随の男性・ラモンが周囲の助けを得て安楽死に及んだ1998年の事件は、刑事事件に発展。私は毒薬を飲ませた恋人と、その殺害を恨む家族を取材した。
恋人は、「本当にその人を愛するのであれば、その人にとっての幸せを叶えたい」と語り、正当性を強調したが、彼女と絶縁した家族は、「記憶を消し去る努力はできるが、許せない。あれは犯罪だ」と憤慨した。
双方に頷ける部分を発見した私は、この時から、人間の最期に一般的な理想を描いてはならないと自覚するようになった。
アメリカでは、17年前、末期癌で自殺幇助に臨んだ女性・ジャネット(72)が、健康に暮らしているという事例を取材した。ある医師との出逢いがきっかけで放射線治療に励み根治したという。彼女は、「グレイト・トゥービー・アライブ(生きていて良かった)!」と私に告げた。
その医師は、私にこう語っていた。
「人々は、耐えられない痛みのせいで安楽死や自殺幇助を選ぶのではなく、周りに迷惑をかけたくないという理由から選ぶ傾向のほうが強いと言います」