◆「内国植民地」と呼ばれて
1980年代にその人口約32万人を迎えた函館市は、現在26万人まで減少している。往時から6万人余も減少した人口のおかげで、2014年に函館は国から過疎自治体の指定を受けた。
幕末における開港の歴史を持つ函館は、歴史的建造物が並ぶ小樽と共に中国・韓国人観光客の北海道ツアーの聖地である。が、観光客は来れど、住民は次々と札幌にその栄を求めて移住している。
ここ20年間で北海道の人口は実に40万人も減ったが、逆に札幌の人口は20万人近く増えている。北海道の辺境から、華の都・札幌へ、人々が移動し、函館の中心市街地は空洞化しつつある。
前述のように、土方sage、榎本ageを展開してきた私だが、しかし榎本武揚を評価できるか、といえば、必ずしもそうではない。榎本はつかの間の蝦夷共和国統治に当たって、箱館市民から重税を徴収し、その政権基盤とした。
榎本は所詮、北海道側に立てば「たまたま箱館に付け込む余地があったので占領した」侵略者に過ぎないのである。その榎本に、その歴史的評価としての功績は大と認めど、心情的に拒否感が働いてしまうのは、私の故郷がこの北の大地にあるためだろうか。
北海道はアイヌ民族(蝦夷)が先住民として定住し、近世から和人(日本人)との交流が絶えなかった。その和人側の前衛こそが渡島半島を含む箱館である。明治国家は蝦夷を北海道と改名し、没落士族層の積極的な入植計画を実施した。私の父方も母方も、この明治国家の国策に従って、東北から同地に移民した先祖の末裔である。