彼女の名はカオル。管理会社に聞いた話では、キャリアウーマンで朝早く出社して夜遅く帰宅するのだそう。この日はたまたま早く帰ったようだが、記者が話しかけても「あ、どうも」と言うだけ。冷蔵庫をあけると、何もとらずにそのまますぐ自分の部屋に戻っていった。
7.5平方メートルほどの個室は一見手狭だが、ひとりで過ごすにはそこそこ快適だ。室内には冷蔵庫と真新しいエアコンが備えつけられている。光熱費無料のためエアコンをガンガンに使えるのが嬉しい。
夜10時を過ぎると住民が続々と帰宅する。記者の隣の部屋の前で20代前半とおぼしき男性と出くわした。挨拶すると、「コウです。どーぞよろしく」と小声で言い残して部屋へ入った。
その後、帰ってきたのはこちらも20代前半のヤスヒロ。若くして友人と立ち上げたIT会社を切り盛りしているそうで、いかにもバリバリ働く若手起業家だ。ヤスヒロとの立ち話によれば、ほとんど姿を見せないが、2階には40代後半のキヨミという女性が住んでいるという。
その夜、最後に姿を現したのは、20代前半のアユミとリサだった。アユミはデニムのショートパンツ、リサはミニスカという若々しい格好。2人ともピチピチしていて、記者の脳裏には“リアルテラスハウス”の言葉が浮かんだ。
アユミはアメリカからの帰国子女。都内の飲食店で働いている。リサは大学生。この日は軽い挨拶をしただけで2人とも自分の部屋に消えた。
ひとつ屋根の下の仲間たちとともに、笑いあり涙ありの暮らしが始まるかとの期待は、早々に打ち砕かれた。翌朝8時には出勤や登校のため住人たちが共有スペースを行き交う。だが、みんな「おはよう」とぼそっと挨拶するだけで、誰もキッチンで朝食を取らずに出かけて行く。
昼間はほぼ人が出払ってガランとする。記者が2階の自室で仕事をしていると、階下から生活音がした。1階の共有スペースに行ったが、誰もいない。しかし、いつの間にか共有の洗濯機が稼働している。その後も記者が1階を離れるたびになぜか人の気配がすることが繰り返され、人目を避けている住人がいるような気がした。
◆こうやってグイグイくる人、めずらしいですね
夜になるとみんな帰宅するが、「今日は〇〇があったの」「え、それは大変だったね」とその日の出来事を明るく語り合うシーンはほとんどない。無論、映画女子会や日本酒の会が開催される気配もない。この夜もみんなさっさとキッチンで料理を作って自分の部屋に引きあげてしまった。
かろうじてリサとアユミ、ヤスヒロの3人は年齢が近いからか、世間話程度は交わす間柄のようだ。就寝までの2時間ほどテレビを見ながらとりとめもない会話をしていた。
だが世代が異なると断絶は深まる。キッチンにいる時も大きなヘッドホンを外さずに料理をするリサに、記者が「自炊するんですね。すごい上手」と声をかけると面倒臭そうにヘッドホンを外しながら、「まあ、外食ばかりだと飽きるから」と当たり障りのない返答がきた。
それでもあきらめずに話しかけると、彼女は引き気味に笑いながらこう言った。
「いやぁ、こうやってグイグイくる人めずらしいですね」