いわば地位を実力によって勝ち取った。それだからだろうか、その地位への執着も人一倍だった。2000年に会長となるが2003年には指名委員会委員長となり、次期社長の任命権を手中に収め、事実上の院政が始まった。そして社長に指名したのが西田厚總氏だった。
西田氏もまた、イラン現地法人入社という経歴を持つ異色の経営者。そして西田氏以降、東芝がチャレンジの名のもと不正経理を繰り返し、さらには米ウエスチングハウスを買収して今日の危機を招いたのは周知のとおりだ。
経営危機に陥った東芝に対しても、西室氏は郵政社長の立場でありながらトップ人事に介入し、メディアに対して持論を語り続けた。ある意味、東芝愛に溢れた人だった。しかし苦境に苦しむ東芝社員からは、「すべては西室から始まった」との恨み節が聞こえてくる。
西室氏は昨年夏に体調を崩し、以来、人目に触れることはなくなった。半導体部門売却にまつわるドタバタ劇を、どのような思いで見つめていたのだろうか。
■文/関慎夫(『経済界』編集局長)