妻〈淑子〉や7歳の息子〈浩〉と借家に住む江川は築75年の古民家を別に借り、仕事場にしていた。ある日、親子で買物に行き、〈醤油のミニボトル〉を手に取った彼は、〈家にあるのを分けてあげるから、また仕事場の空の容器を持って来て〉と妻に止められ、憤然とする。

〈淑子の考えは分かる。しかし私は、小さな醤油ボトルくらい自由に買ってもいいのではないかという気持ちを、心の中からなかなか消し去れなかった。家計は私の作家収入だけで支えられている。親子三人暮らしていくのがカツカツの収入ではあるが、醤油のミニボトルは百十八円ぽっちだ〉

 そこに現れたのが淑子の大学の友人〈江藤亜美子〉だ。かつて江川は肉感的な彼女に交際を申し込んだが、結局は〈痩せて平板な淑子〉と結ばれ、浩が生まれた。だが人妻の亜美子になお未練がある彼は〈熟女の品格〉とは名ばかりのデリヘル嬢を、つい呼んでしまうのだ。

 と、前半は冴えない作家の日常が自嘲気味に綴られ、自分にしては売れた自信作〈『ブラッド・キング』〉を別の作家の大ベストセラー〈『ブラック・キングダム』〉と間違われるなど、トホホな毎日が続く。そして結婚の際、〈煙草を止めない事〉〈衝動的に旅に出る事〉の2要求を呑ませた彼は腰痛の妻を残して場末の歓楽街に入り浸り、例の薬を拾う。

「彼は中坊並みのバカですよね。ただ今回は書けなくなった作家の業についても書いていて、物理的な死より作家としての死を恐れる心情は、僕にもよくわかる。

 10年前に戻った彼が自作を二度と書けないように、作品も人生も1回きりだからいいわけで、その時やないとダメなんですよ。特に50も過ぎると今できることは今やっとかなと思うようになった。自分の器が変わらない限り、何度生き直しても同じ失敗をしそうな気もする。つまり幸せになりたい人は、今この瞬間からだって幸せにはなれるわけで、そんな当たり前のことを、自分でも確認したかったのかもしれません」

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