安倍首相側は海千山千の官房長官を送り込み、議論に“睨み”をきかせたかった――誰もがそう感じた会議だった。それだけ、陛下の退位日を巡っては官邸と宮内庁に深い溝があったということに他ならない。
◆案は5つも6つも浮かんでは消えた
発端は、7年ほど前にさかのぼる。
「陛下は2010年頃には退位の意向をお持ちになっていたといわれています。2012年に安倍首相が返り咲くと、事あるごとに伝えられてきた。でも、首相は取り合わなかったんです。それに業を煮やした宮内庁がリークして、昨年7月、NHKが報じたともっぱらですが、安倍首相は“おれは何も聞いてないぞ!”と怒り心頭。宮内庁にはもう勝手なことはさせないとばかりに、官邸のスタッフを送り込み、コントロール下に置こうとしました」(全国紙政治部記者)
その因縁は、退位日の決定にまで尾を引いた。水面下の綱引きにより、退位日は文字通り二転三転する。
はじめに安倍首相の中に浮かび上がったのは「2018年末退位、2019年元日即位・改元」だった。年の変わり目の改元ならシステム障害が起きにくく、国民にもわかりやすい。
だが、年末年始に行事や儀式が集中することを理由に宮内庁側が難色を示す。すると、安倍首相は頭を悩ませて「天皇誕生日である2018年12月23日退位、翌24日即位、2019年元日改元」案を絞り出す。それでも宮内庁は「ノー」だった。
「宮内庁としては、年末年始の立て込んでいる時期からはとにかく離したかった。そこで浮上したのが、『2019年3月末の退位、4月1日即位・改元』だったわけです。日本人の生活に照らせば年度末、年度始めもわかりやすい。この案にたどりつくのに、5つも6つも案が浮上して消えたと聞いています」(宮内庁関係者)
10月20日、朝日新聞がその「3月末退位」を1面のトップ記事で大きく報じた。
「宮内庁は焦っていました。退位日が決まらないから、退位関連の予算が決まらないし、予算がないから退位後の両陛下のお住まいや引っ越しの方法も決まらない。朝日の報道は、“退位日を既成事実化したい”という宮内庁の意図が透けて見えました」(別の全国紙政治部記者)
宮内庁サイドのリークといわれた「3月末退位」報道に、官邸側はまたも怒り心頭。