そうかと思えば、出身地、大阪府枚方市にあるアミューズメントパーク『ひらかたパーク』のCMキャラクター「超ひらパー兄さん」では、ローカルCMならではのチープさと、関西ならではのノリがウケて、地方CMの優等生。「おま!」という岡田の叫びに、コンサート会場のファンがCMと同様に、ズッコケるシーンも何度か見せてもらった。
もともと『天才・たけしの元気が出るテレビ?』(日本テレビ系)の「ジャニーズ予備校」出身者。当時のジャニーズJr.のように、ジャニ—社長が見守るオーディションに合格して入所したわけではないものの、その後すぐにV6としてデビューをした岡田。
とはいえ、年少組には、ジャニーズJr.の歴史の中でももっとも人気があったのではないかと思われる「剛健(ごうけん)」こと森田剛と三宅健が既に大人気となっており、岡田は肩身が狭かったような時代もあっただろう。
初めから演技がうまかったわけでももちろんなくて、先輩が主演のドラマの中には、「これが後の岡田准一なのか」とギャップを感じさせられる作品も存在した。
が、岡田は高倉健さんや緒形拳さんら、日本を代表する大物俳優に愛された。健さんとは直接顔を合わせたことはなかったというが、知人を介して『志村喬記念館』に高倉さん自身が行けないので「代わりに行って来てほしい。そして役者として勉強して来なさい」と託されたことを『第38回 日本アカデミー賞』後のセレモニーで明かしている。
そして緒形拳さんからは、岡田が10代のときに「お前は俳優に向いている」「君は俳優を続けなさい」と言葉を掛けられたことがあるとも明かした。
最近も、『海賊とよばれた男』で共演した國村隼が、「役では岡田を虐めるが、私は岡田くんのことが大好きです」と完成披露試写会などで公言。ベテラン俳優に認められ、愛されていることが改めて分かったものだ。
さらに、アイドルとしての活動よりも俳優業に重きを置くことを「メンバーもファンも許してくれた」と感謝していた岡田。20周年を目前に『女性セブン』でインタビューした際、「一般の会社でも、同じメンバーと20年も同じ部署で仕事をするということは滅多にないハズ。それだけに貴重だし、感謝しなければならない」とメンバーへの想いを語っていた。さらに、祖母が亡くなる前に、祖母にも内容や設定がよく理解できる大河ドラマを始めとする時代劇に出られたことも「良かった」と、おばあちゃん子らしい言葉もあった。