「ソープ嬢とその客である、ということで、被害者が好奇の目に晒される可能性は高い。その上で、テレビ局数社、新聞数社は実名報道を見送った。座間の事件でも、ほとんどの被害者が性暴行を受けた後に殺害された、ということになっていて、被害者は性犯罪被害者だったのにもかかわらず、全員が実名、顔写真付きで報じられました。この辺りの矛盾に、報道関係者が頭を抱えているのは事実です」(大手紙社会部記者)
性犯罪の被害者は、基本的に実名で報じないというルールがある。当初被害者として実名、顔写真付きで報じても、後に性犯罪の被害者と明らかになった場合は、その瞬間から匿名報道に切り替えるのだ。しかし、すでにそれは意味をなさない状況だ。
「一度報じると、ネットのまとめサイトなどに画像や映像が転載されます。我々が匿名報道に切り替えても、それらは消えることなく永遠に残り続ける。では我々が報じなければ良いのかといえば、そうとも言い切れない」(大手紙社会部記者)
性犯罪被害者だから、風俗関係者だから、といって身元を報じない、というのは一見「配慮ある報道」に見えるが、その配慮が、事件の悪質性を矮小化させ、世間から関心が寄せられなくなる事態を呼び込む。被害者だという事実だけでなく、事件そのものを風化させてしまうのだ。
かつて、悪質なドライバーが引き起こした事故に巻き込まれ肉親を失ったという女性は、マスコミに自ら両親の写真を提供した。女性は”被害者の親族”の思いを吐露する。
「私の場合は、こんな事故があったのかと世間に強く意識してもらうために、両親の写真をマスコミに提供しました。ネットで検索しても出てくるし、今でも行為は間違ったと思っていません。ただ、写真を出さないでほしい、そっとしてほしいという被害者関係者の方が多いでしょう。一番大事なのは遺族や関係者の気持ちを汲み取ること、理解することだと思います。被害者が出たから、画一的に報道しよう、というのは違うと思います」
ネットの登場により変わりつつあるマスコミの、そして情報発信のあり方。2017年は「マスコミがいよいよ信じられなくなった年」などと揶揄されているが、筆者にはそう見えない。既存マスコミとネットの摩擦から生じた、このような議論が噴出したことは、意義深いことではないかと率直に思えたのだ。