ハレの日に食べたいフルーツの代表いちご、実はその生まれも高貴だ。食文化に詳しい編集・ライターの松浦達也氏が解説する。
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1月15日と言えば、一昔前(1999年)までは「成人の日」だったが、祝日法の改正でハッピーマンデーが導入された2000年以降、1月15日=成人の日ではなくなった。では1月15日は何の日か──。「いい・いちご」という語呂合わせで「いちごの日」だという。コンビニの棚はいちごスイーツで席巻され、これからホテル等でも続々といちごスイーツのフェアが行われる。
いまやスーパーの棚には、各地域の名産ブランドが日常的に並び、もはやいちごには国民的フルーツという風情も漂う。だがその昔のいちごは庶民の口に入るような果物ではなかった。それもそのはず、国産いちごは皇室の御料地・農園で生まれたものだった。
国産いちごが生まれたのは1898(明治31)年のこと。新宿御苑の前身である新宿植物御苑で福羽逸人(ふくば・はやと)農学博士が、フランスの「ゼネラル・シャンジー」というイチゴ品種から国産いちご第一号となる「福羽苺」を作出。大粒で肉質がよく、当初は門外不出で皇室への献上品だったという。
「当時の新宿御苑は皇室の御料地だったことから「御料イチゴ」とも呼ばれ、門外不出とされましたが、その後、全国に広まってゆきました。現在、日本はイチゴの消費量世界一となりましたが、「あまおう」「とよのか」「とちおとめ」など人気のイチゴ品種の多くは、新宿御苑で生まれた「福羽苺」がそのルーツとなっています」(新宿御苑HPより)
実は福羽翁は、現在のハウス栽培の元となる温室栽培法を国内に持ち込んだ人物である。1917(大正6)年7月22日付の朝日新聞が「温室を始めた人」としてその「隠退」を大々的に報じたほどだ。
曰く「我が国ではすこぶる珍奇なものになっているメロなどを新宿御苑で培養してしばしば陛下の供御に奉った」、「初めて西洋式の温室を築設し、温室栽培法を社会に示すなど我が邦園芸事業の権威(オーソリティ)と謂はれている」などその功績を取り上げている。