同シリーズの第3弾から出演されていた大杉漣さんは、今年1月15日から、初めて連続ドラマスタイルをとった第6弾のポスターに主演の松井玲奈や六角精児と共に映っておられる。
松井と六角と言えば、芸能界屈指の“鉄道オタク”。まだSKE48のメンバーだった地元アイドルの松井をメインにしたのも、ローカルドラマならではのことだったと言えよう。
果たして、22日朝の『ドデスカ!』は、6時台、7時台に3チャンスある芸能枠全てで大杉漣さんの訃報に触れ、「このドラマに出演するキャストやスタッフとまた会いたいなといつも思っていました。毎年このドラマに参加できること、作っていただけること、みんなと再会できたことを本当に嬉しく思っています」という『名古屋行き最終列車』HPに寄せた大杉漣さんのコメントを紹介。
続いて、「スタッフだけではなく、エキストラの方やロケ地の関係者にも分け隔てなく、いつもニコニコおしゃべりする方でした。相談をすれば常に親身になって一緒に考えてくださいました」というプロデューサーのコメントもモニターに出させてもらった。
すると『ドデスカ!』のアナウンサー陣から次々、大杉漣さんとの秘話が明かされるではないか。東京や大阪のテレビ局とは異なり、仕事で来社する芸能人の数が圧倒的に少ないなか、メ〜テレアナウンサーたちは大杉さんとのオンリーワンのエピソードをそれぞれ持っていたのである。
いくつか紹介させていただこう。
「廊下でお会いすると、いつも笑顔で挨拶をしてくださいました」
「我々のことなんか御存知であるハズもないのに、こちらが恐縮してしまうほど腰の低い方でした」
もっとも驚いたのは「(大杉さんが出演している)『相棒』や『緊急取調室』の取材でテレビ朝日に行くと、大杉さんに出ていただくお約束はとれていないにも関わらず、『僕はメ〜テレ・ファミリーだから』とインタビューに加わってくださいました」という、もっとも若手の上坂嵩アナによるエピソードだった。
訃報を受けてから、多くの作品の共演者から追悼コメントが尽きないが、どれを見ても、決して偉ぶらず、後輩であっても、演技経験が少ない俳優であっても細やかな気遣いをし、優しく接する大杉漣さんのお人柄がわかるものばかりだ。そして、それは名古屋のローカル局でも全く変わらなかったのである。