病気の大関の身代わりに提灯屋が巡業に出る『花筏』は東京でも演じられるが、元は上方落語。これは米朝の演目だが、意外だったのは『花筏』と共にネタ出しされていた『天王寺詣り』。五代目桂文枝や六代目笑福亭松鶴が得意とした噺で、米朝は手掛けていない。米團治は昨年ネタおろししたばかりで、高座に掛けるのはこれが3回目だという。
秋の彼岸、犬の供養に引導鐘をついてもらおうと四天王寺に出かけた二人連れの会話で境内のあれこれを描写するのが聴かせどころで、物売りの場面では鳴り物も入って実に賑やか。まさに「大阪ならではの噺」だが、東京の落語に親しんだ耳にもよく馴染むのは「米朝の血」ゆえだろう。父の師匠の名跡「米團治」を継いで10年、暮れには還暦を迎えるが、天性の明るさと二枚目の芸風で上方落語の魅力をスマートに表現する高座は「永遠の若旦那」の魅力に満ちている。
●ひろせ・かずお/1960年生まれ。東京大学工学部卒。音楽誌『BURRN!』編集長。1970年代からの落語ファンで、ほぼ毎日ナマの高座に接している。『現代落語の基礎知識』『噺家のはなし』『噺は生きている』など著書多数。
※週刊ポスト2018年3月16日号