痛快なのはその独特の視点だ。ベッキーから小室哲哉まで、度重なる不倫ゴシップに関しては面白がりこそすれ、けっして道徳的なジャッジなど下さない。不祥事続きの政治家に対してもしかりだ。例えば稲田朋美元防衛大臣のファッションの問題点は、ピンヒールで艦内を歩き回ったことではなく、「わざわざ伊達だとアナウンスしてかける眼鏡がダサい」ことだと軽妙に言ってのける。
批評の根っこは、あくまで自分自身のセンスにあり、世間が掲げる「正しさ」の神棚には絶対に逃げ込まない。それは、ゴシップを楽しむ自分自身の姿をきちんと自覚しているから。
「以前、女の子ばかりのグループで旅行に出かけた時のことです。お酒を飲みながら、自分の恋がいかにばかげていたかっていう話で大いに盛り上がって。“やっぱり女同士は楽しいね”なんて言い合っていたの。ところが、げらげら笑っていたうちの一人が、自分に話を振られた途端、“私、そういう個人的なことってあんまり人に話さないことにしてるの”と言ったわけです。“人の噂をしてると自分に返ってくるじゃない?”なんてニュアンスでね。
その時に、“こいつ、駄目”って思いましたよ(笑い)。そこに座っている時点で、もう自分もその一員なんだってことがわかってないんだから。週刊誌やワイドショーに関しても同じです。それを眺めて楽しんでいる時点で、自分もそんな“しょうもない世界”を担っている人間の一人であることを自覚しておかないと」
※女性セブン2018年3月29日・4月5日号