その席で、ひろは「私、がんなんだよね」と言いました。彼女はがんと言えば、ぼくが離れていくと思ったそうです。でも、初めて2人で会った時、がんの話をあらためて聞いたぼくが目をウルウルさせたので、「この人は好青年だ」と感じてくれたようです。それ以降、お互いを知るうちに、同じ空気感でノリも一緒だって気がつきました。
〈弘子さんは立命館大学在学中の2012年秋、肝臓がんが見つかり、「余命半年」と告げられる。10時間に及ぶ大手術を経て大学に復学したが、喜びは束の間だった。肺への転移と肝臓がんの再発が見つかってしまう。朋己さんが彼女と出会ったのはそんな時期だった。
治療と再発を繰り返すなか、弘子さんは高校時代の恩師から「講演をしないか」と声をかけられ、講演活動を開始する。さらにSNSを通じた情報発信が話題を呼んで、テレビなどで取り上げられるようになった。〉
出会って1か月後にはぼくの家族とハワイに行きました。関西空港でぼくの両親に「初めまして」と挨拶してそのまま飛行機に乗ったんです。
当時、彼女はまだ20才そこそこだったので、「ぼくとつきあっていても他の男の子と遊びに行っていいからね」と伝えました。ぼくが彼女にとって「最良のパートナー」か判断するためには、いろいろな経験を積むべきと思ったんです。
実際、半年間別れていた時期もあります。ぼくはつきあって1年目くらいから結婚を望んでいましたが、彼女のなかには、「私はあなたを残して先に逝くかもしれない」という葛藤があったようです。ぼくも何人かの友人に「結婚は勧められない」と言われました。でもぼくは、「がんなんて気にしなくていいよ」と彼女に伝えました。
人間はいつどう死ぬかをコントロールすることはできません。ぼくはひろより一回り年上ですし、出歩く機会も多いから、交通事故で先に亡くなる可能性だってある。そんなことで悩む必要はない。お互い愛し合っているならいいんじゃないかと。だから、ぼくにとってがんが結婚の障害になることはなかった。
結婚に対して後ろ向きだったひろを変えたのは、『ゼクシィ』に書かれていた「結婚式の意義は親や友人へ感謝を伝えること」という言葉でした。2017年6月大阪市内で挙式しました。
ぼくはひろの病気のことで泣いたことは一度もありません。でも彼女がウエディングドレスを着た時に、一度だけこらえきれず涙がこぼれました。心から嬉しそうな表情の彼女がすごくきれいで、あまりに嬉しくて泣いてしまったんです。
〈純白のウエディングドレスで幸せな笑顔を見せる花嫁の姿は、アフラックのCMでも流れた。「生まれてきてよかったな。結婚式で、そう思えました」と弘子さんはつぶやいた。弘子さんは「自分ががんになった意味は何だろう」と考え続けたと朋己さんは言う。〉
※女性セブン2018年5月10・17日号