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2018.05.13 15:59  週刊ポスト

ビニ本業界が編み出したさらなる過激路線「ベール本」の中身

過激な内容で一世を風靡(写真はイメージ)

 1971年に誕生した「ビニ本」は1980年前後に最盛期を迎え、市場規模は推定100億円とも言われた。ビニ本のライバルだった「自販機本」は、対面販売でないために子供も買えることが問題視され、各自治体による規制で自販機の数が激減していった。さらに、規制により過激な露出を禁じられ、自販機本の人気は衰退していった。

 代わりに、ビニ本のライバルとして1981年に登場したのが、女性器や男女の結合写真を無修正で掲載する「裏本」である。ビニ本と違って表紙には写真がなく、『金閣寺』や『法隆寺』などのタイトルが書かれただけ。価格は1万円と高額だったが、“モロ見え”を求めて男性客が殺到し、新宿・歌舞伎町には裏本を扱う店が100軒以上も出現したという。

 そんな裏本の大攻勢に対抗すべく、ビニ本業界が編み出した次の手は、さらなる過激路線だった。ビニ本コレクターとして知られるAV監督の斉藤修氏が語る。

「それまでのビニ本モデルは決してパンティを脱ぎませんでしたが、この頃にはパンティを脱ぎ、薄い布(ベール)や透明のビニールなどで股間を覆うモデルが登場したのです。当然、性器が見えてしまうものもありました」(斉藤氏)

 この手法は、発祥となった雑誌のタイトル『ベール・アンド・ベール』から「ベール本」と呼ばれた。だが、再びビニ本ブームが復活することはなかった。1982年には裏本業者が制作した裏ビデオ『洗濯屋ケンちゃん』が全国に出回り、「動くビニ本」と宣伝されたアダルトビデオの時代が到来しつつあった。

 ビニ本業者の摘発も相次ぎ、ブームを受けて成人向けコーナーを設けた神田神保町の芳賀書店が1986年に取り扱いを停止したことで、ビニ本の時代は幕を下ろした。ビニ本が日本の成人向けメディアに与えた意義について斉藤氏はこう語る。

「タブーだった陰部の表現にこだわったビニ本の登場は、その後の性表現のあり方を大きく変えました。また、その後多くのビニ本業者がAV業界に参入した。日本人の性意識を形成した一メディアとして、実に興味深い研究対象だと思います」

■取材・文/松本祐貴

※週刊ポスト2018年5月18日号

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