渡瀬恒彦さん(享年72)は、昨年3月に胆のうがんでこの世を去る直前、すがる思いで門を叩いたという。
小笠原さんにとって、同時期にがん闘病し、同じクリニックに通った九重親方や渡瀬さんは、「がん戦友」だった。UMSのホームページには、こんな言葉が綴られている。
《私たちが治療してきた患者さんの多くは、「標準治療」に満足されていない方や「標準治療」を望まれていない方です。具体的には、できるだけ手術を受けたくない、あるいはできるだけ抗がん剤治療を避けたいとお考えの方が大半を占めています》
言うなればUMSは、「切らない選択」をした患者のためのクリニックなのだ。前出の田辺氏が解説する。
「がんの治療法は、『外科手術』、抗がん剤を使った『薬物療法』、『放射線療法』の3本柱を、部位や進行具合によって組み合わせていくのが一般的です。一方、患者さんによっては、どうしても手術を避けたいという人もいます」
九州大学名誉教授で、おんが病院・おかがき病院統括院長の杉町圭蔵氏が続ける。
「女性の乳がんの場合は、乳房の摘出をしたくないという声が圧倒的です。女性の心情的にも、胸を残したいという思いは理解できます。他にも、たとえば舌がんだと、術後に話しづらくなったりする機能障害や味覚障害が発生しますし、咽頭がんでは人工声帯で意思疎通はできますが、以前の自分の声とは変わってしまいます」
加えて、手術と並行して行われることの多い抗がん剤治療は、人によっては、吐き気、全身のだるさ、髪の毛が抜けるといった激しい副作用を伴い、平穏な日常生活が送れないほどの過酷な状態になることもあり、クオリティー・オブ・ライフ(QOL)の低下を指摘する声も少なくない。
「手術をした上で抗がん剤を使う場合と、手術をせずに抗がん剤治療のみを行う場合もあります。手術は体力、抵抗力を低下させるため、そこに抗がん剤となれば、さらに著しいQOLの低下も考えられます」(前出・田辺氏)
そこで選んだのが、「切らない選択」だった。九重親方は、緊急入院する4日前まで、稽古で弟子を厳しく指導し続けた。天国へと旅立ったのは、入院からわずか2週間後のことだった。
渡瀬さんは、死去の1か月前に『警視庁捜査一課9係』(テレビ朝日系)のクランクイン会見に臨んだ。がんに加え、肺に穴が開く「気胸」の状態に陥っていた。入院中の病室では、ベッドの脇に『9係』の台本を置き、亡くなる前日も打ち合わせをしていたという。
結果的に、彼らは命を落とした。だが、「切らない」という最期の闘い方は、彼らに死の直前まで幸福な時間をもたらしたのかもしれない。