門田:しかし今思えば、我々はよくあんな環境で辛抱していましたよね。どこの球場も汚くて酷い。特に南海の二軍球場はプロが使える代物じゃなかったですよ。二軍に落とされた時は一刻も早く脱出したいと思った。
鈴木:近鉄の場合は一軍が使う藤井寺、日生球場がともに恵まれなかった。特に日生。我々はロッカーを使ったけど、ロッカーが遠くにあるビジターの選手は汚い廊下に新聞紙を敷いて着替えていた。あれはさすがに申し訳なく思いましたね。
米田:大阪球場は狭かったよね。日生球場はさらに狭かったけど。
門田:それに大阪も日生も球場がすり鉢状で野次が全体に響きましたよね。その点、西宮球場は広々としていて、グループに宝塚歌劇があるからか野次も優しかった気がする。大阪の野次は正直、鬱になりますよ。
米田:ベンチからの声よりスタンドの野次のほうが大きかった。でも当時の野次はうまかったね。
鈴木:親会社の電車をたとえて野次っていましたね。近鉄ファンが「南海電車はボロ電車、近鉄電車は二階建て」と野次ると、南海ファンが「会社はデカいが野球は弱い」とやり返す。
門田:全部、電鉄が親会社だから、オーナー同士のライバル関係はすごかったみたいですね。