〈西城秀樹のアイドル全盛期に少し未来を見据えたスタッフが周辺にいて、「ヒデキを少年から青年にして下さい」といって連れて来たのである。かつてはそのように、付き人的存在を越えたマネージャーがいたのである〉
マネージャーはこれからの歌手・西城秀樹をどう展開していくべきか考え抜き、多忙を極める阿久さんの首を縦に振らせた。
〈いい歌とか、売れる歌をという依頼ではなく、少年から青年という頼み方に動かされて承知したものである〉(前掲書)
1976年、阿久さんと三木さんのコンビは『君よ抱かれて熱くなれ』でエロチシズム、『ジャガー』で情熱、『若き獅子たち』で志を表現。西城さんを少年から青年に育てあげた。
2年後の1978年、「西城がいくつになっても歌える歌を書く」と決意した阿久さんは、西城さんを自分の別荘に泊まり込ませ、寝食を共にすることでどんな詞を書くべきか熟考し、『ブルースカイブルー』をプレゼントした。西城さんは、のちにこう話している。
〈出来上がった詞は大人っぽくて、馬飼野康二さんの曲はスケールが大きく、それまでの歌とは趣が違っていた。阿久さんに聞くと「こういう男になってほしい」という願いを込めたと言われた。アイドルを脱皮する転換の歌になったと思う〉(2006年11月11日 毎日新聞)