「父親になるのは簡単だが、父親たることはなかなか難しい」とは、ドイツの詩人ヴィルヘルム・ブッシュの言葉。それほどに、“父とはこうあるべき”と決めて貫き通すのは大変なのかもしれない。今年は6月17日が父の日。そこで、45才の主婦による父にまつわる涙のエピソードを紹介します。
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目の前を、破られたチケットの切れ端がハラハラと舞い落ち、「この不良が!!」という、父の怒号が響き渡ったあの日、私は実家を飛び出しました。それから22年、父とは一度も会いませんでした。
私の父は公務員で、まじめが服を着て歩いているような人でした。ギャンブルはもちろん、たばこやお酒もやりません。しつけは厳しく、友達と遊ぶことや部活動も禁止…。私は友達ができず、学校で孤立していました。
そんな私を癒し、励ましてくれたのが、ロックバンド・ユニコーンの曲でした。私は3年かけてお年玉を貯め、高校3年生の卒業記念に、初めてコンサートのチケットをとりました。
しかし、私の郵便物を父が確認していたのです。チケットは私の手に入る前に、切り裂かれてしまいました。
家を出た私は住み込みのアルバイトを見つけ、そこで働きながら奨学金で大学へ通いました。どん底の貧しさでしたが、父の束縛を離れた日々は、幸せ以外のなにものでもありませんでした。
その後就職し、結婚。子供にも恵まれ、忙しい40代を過ごしていた頃、母から突然「どうしても」と連絡があり、帰省することに。
70才の父は病床にいました。数年前から食道がんを患い、今日か明日かの命だというのです。父は一瞬、目を開けて私を見ましたが、そのまま息を引き取りました。
何も知らされずに帰省した私は頭がついていけず、泣き崩れる母を前に、冷静に葬儀の手配を進めました。涙などもちろん出ませんし、気持ちは白けていました。
父は納棺してほしいものをまとめていたので、それを整理していると、その中に、小さな封筒がありました。中を見ると、ビリビリに破られたユニコーンのチケットが…。
ようやく涙がこみ上げてきました。
私も親ですが、親の愛とはなんでしょう。生きているうちに伝わらなければ、お互いに後悔しか残りません。私は、家族の誰にも悔いを残さないよう、日々を正直に生きていこうと思っています。
※女性セブン2018年6月28日号